世界のうちの異世界をいかに表現するか-都美印象派展

印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵』

上野で「印象派」や「モネ」といった名が冠された展覧会を目にするのは何度目だろうか。今回の印象派展もまさかの上野の森美術館での「モネ展」と同時開催、それにも関わらず展示室内は客でいっぱいになっていて、日本人の間での19世紀フランス前衛美術人気を思い知らされた。とはいえ、展覧会名の中で控えめに伏線が張られているように、今回の主役は実は正統派のフランス印象派ではない。歩を進めるにつれ、むしろ印象派の技法を留学によって学び、帰国してのち故郷の風土に合うように独自の手法で発展させていった、アメリカにおける分派的存在の画家たちが展示室の大半を占拠していることに気付かされる。ややタイトル詐欺の感が否めないと個人的には思ってしまうのだが、しかし実際このアメリ印象派の作品は、新大陸の雄大な自然や開拓者精神と結び付くことで、フランスの本家には見られないようなダイナミックな表現へと行き着いており、独特の見どころがあった。

ともあれ、最初は王道のモネから。《税官吏の小屋・荒れた海》(1882)は、カンヴァスの大半を占める海の色彩表現が眺めていて最高に心地良い。国立西洋美術館所蔵の《睡蓮》(1916)と同様、モネの描く水面は、遠視したときには太陽光なり雲なり植物なりの自然物の反射を想像させるような、それなりに写実的な表現に見えるけれど、近視したときにはさまざまな色の絵の具の自足的な戯れに見えるのが秀逸。元々揺らぎを内包し形態の不明瞭なモチーフだからこそ、モネのような画家はそれを逆手にとって、写実という建前を保ちつつも色彩の実験を展開することができたのだろう。ところが、打って変わって《睡蓮》(1908)は非常に滑らかな筆致で塗り尽くされている。多くのモネの作品のようにその筆順を追体験することはもはや不可能で、観者はところどころ青・紫・緑・黄色といった色合いを予感させるばかりの境界線のないグラデーションに直面させられる。ただ画面各所に配された睡蓮のみが立体的な筆致を伴い前面に浮き出るような効果を与えているのだが、それがむしろ、それを取り囲む水面表現の平面性を強調させる結果をもたらしている。つまり、本作においてモネは、物理的な筆触の差異によって生じる「平面性」と「立体性」、「後退」と「前進」、「一体性」と「個別性」といった対照的な効果を用いながら、固体的・静止的なモチーフである睡蓮に対して池の水面を明確に対置させ、後者を静謐な表面のうちに底知れない奥深さを抱える統一的な運動体として特徴付けようとしたのだろう。水面というモチーフ一つとってもここまで多様な幅の表現を展開できる巨匠の技量に、改めて脱帽させられる思いがする。

《税官吏の小屋・荒れた海》(1882)、《睡蓮》(1908)

展示の後半になると、どんどんと舞台が地球規模に拡大していく。個人的には、印象派流の夢想的な女性や風景の表現を継承したこれらの作品群のうちに、しばしば宗教的・神話的な寓意が見受けられることが気になった。例えばアルフレッド・ステヴァンスの《母》(ca.1870)においては壁にかけられた十字架のモチーフを媒介項としてベッド上の母子が聖母子に重ね合わされているのが読み取れるし、アンデシュ・レオナード・ソーンの《オパール》(1891)においては川沿いの裸体の女性たちがどことなく神話上のニンフを想起させている。とりわけ後者の作品は、これらのミステリアスで官能的な女性像と、黄昏時の紫色の空を映し出す水面、または木漏れ日を投げかける木々の表現などが相まって、展示室内でもひときわ人目を引くような神秘性を醸し出している。しかし、全く同じ対象物が、より明確な色彩のコントラストとより厳密な輪郭線を以て描かれていたらどうだっただろう。その場合、おそらくこの作品は、単純に現実の川のそばで憩う現実の女性たちを描いた世俗画として解釈されていたのではないか。そう考えれば、上に指摘したようなヌードの女性たちとニンフの重ね合わせ、およびそれを支える作品全体の幻想的な情緒といったものは、あくまで印象派流の反写実的な表現技法を前提として成り立つものだったということになる。逆に言えば、穏やかな色彩や焦点の定まらない輪郭線、こうした印象派の築き上げた表現体系が、宗教や神話といった非現実的な世界観を視覚化するための触媒として異国で受容されていったのだという、興味深い結論を導き出すことができるだろう。

オパール》(1891)

アメリ印象派の作品は自然の風景画が大半を占めるが、チャイルド・ハッサムという画家は例外的に、ボストンを舞台とした多くの都市風景画や室内画を手掛けている。とりわけ秀逸なのは、画面の中にクリアで写実的な表現と印象派流の不明瞭な表現を対置させることで、世界の異なるあらわれ方を具現化する彼の手法である。例えば《コロンバス大通り、雨の日》(1885)では、前景の黒い馬車のみが明確な形態を与えられ、それ以外の景色が全てぼんやりとした輪郭線や溶け合うような色彩によって描かれることで、場面が雨降る街角であり、作者の位置から奥にゆくにつれ霧が立ち込め視界が不明瞭になっていくことが示唆されている。また、《朝食室、冬の朝、ニューヨーク》(1911)では、窓にかかるカーテンを境界面として、手前の女性や室内風景ははっきりとした色彩と輪郭線で、奥の都市風景は水色一色のぼんやりしたシルエットで描出され、現実の近景とカーテン越しの遠景との対比が明確に意識される結果をもたらしている。ここでは双方の作品とも、画面の一部に印象派流の技法を採用することで、霧やカーテンといったある種のフィルターがかかった世界を、フィルターのない生の世界との対照関係のうちに効果的に表現することに成功しているとまとめることができるだろう。

《コロンバス大通り、雨の日》(1885)、《朝食室、冬の朝、ニューヨーク》(1911)

ところで世紀転換期のアメリカでは、南北戦争後の混乱した社会情況からの安らぎを求め、落ち着いた色調によって主観的な内省世界を投影するトーナリズム(色調主義)と呼ばれる風景画が流行したという。ジョセフ・H・グリーンウッドの《雪どけ》(1918)も、そうした潮流に即する作品の一つとして理解できるだろう。丸裸の木々、分厚く積もった雪、水色に凍てついた川といったモチーフは、一見ニューイングランドの厳しい冬の寒さを連想させる。しかしながら、個々のモチーフの内部にまで目を凝らすと、暖色にきらめくような雪の表面や白のハイライトによって示唆される川面の輝きといった微妙な表現が、画題の通り来るべき春の季節を予感させてもいる。あくまで過酷な現実を写し取りつつ、その内部に崇高な恩寵への期待を織り交ぜる手法は、ヨーロッパのロマン主義にも通じるものと言えるだろう。そしてこうした夢想的な自然表現の完成形とも言えるのが、展覧会を締めくくるデヴィット・パーシャルの《ハーミット・クリーク・キャニオン》(1910-16)である。黒系統の色を全く使わず、影や輪郭線にさえ紫をはじめ明るい色を用いることで画面全体に夢見るような情緒性を与える手法は、画家が印象派の伝統から受け継いだものだろう。しかし本作品の見どころはそれだけではない。間近で見ると、遠景の山脈や空と、手前の山の岩肌や芝地の間で絶妙に異なる筆触が使い分けられているのがわかる。とはいえ、それはモネの風景画におけるように丁寧で写実的な筆致と雑駁で実験的な筆致が共存しているというのではない。そうではなく、画面全体があくまで丁寧に余白なく描き込み尽くされているものの、遠景の光景はフラットかつ滑らかに、対して手前の山の岩肌や芝地はカンヴァスの布地本来のざらざらした触感が残るように描かれているのである。これは見事に、一体混然とした眺望=「イメージ」として把握される遠景と、触覚的想像力を刺激するような「リアリティ」を有する近景といった対照的な性質と合致する。すなわち、ここではカンヴァスというメディウムの性格を完成作に残すことが、通常のように均一な筆触によってその特性を覆い隠すよりむしろ、グランドキャニオンという主題の迫真性を高める結果となっているのである。

なお、こうしたカンヴァスの質感を利用したモチーフの描き分けは、例えばジョン・ヘンリー・トワックマンの《滝》(ca.1890)にも観察されるものであった。ここでは、カンヴァスの凹凸のうち凸部分のみを塗り残すような筆遣いで青色の水流が描かれることで、ちょうどその浮き出た部分が白い水飛沫のように見えるようになっている。単に写真の如く現実を模倣する平面を生み出すでもない、しかし単に自律的な形態やメディウムの実験に傾くでもない。むしろカンヴァスの物理的条件や絵の具と筆によって実現可能な筆触・色調のスペクトラムの活用によって、自然界における多様な自然のあらわれ方をリアルに再現するこうした手法こそが、アメリ印象派の至った自然表現の極致であったと言えるだろう。

《滝》(ca.1890)