Camino Primitivo(古代の道/プリマティボの道)巡礼記録

はじめに

以下の記事は、2024年3月18日から30日までの13日間をかけて、サンチャゴ・デ・コンポステラに至る巡礼路の一つ、Camino Primitivo(古代の道/プリマティボの道)を踏破した経験をもとに、今後同じ巡礼路に挑戦したい!と考えている方々の参考になりそうな情報を、主観まみれを承知でまとめたものです。今の時代サンチャゴ・デ・コンポステラ巡礼に関する情報はネット検索すれば豊富に入手することができますが、日本語で、「古代の道」について、巡礼のリアルな実態をまとめた記事はほぼ存在しないのではないかと思います。そもそも日本人巡礼者はかなり少数なうえ、選ばれるのは「フランス人の道」等であることが多いからです。

そこで本記事では、特に「古代の道」に密着した情報を、(これは個人的な関心に由来する部分が大きいですが)各地の文化・歴史に関するトリビアを織り交ぜながらまとめる方針を取ります。その他の点で有益な情報源としては、以下の二つのサイトを挙げておきます。

なぜ「古代の道」か

軽く調べれば分かる通りサンチャゴ・デ・コンポステラに向かう巡礼路は無数に存在するものの、巡礼者の8割は「フランス人の道」「ポルトガル人の道」「北の道」を選び、「古代の道」を行くのは全体の6%ほどと言われています。所要日数としては12-14日間と比較的手頃であるにも関わらずなぜこの道がそこまで人気がないかというと、やはり山道ばかりで過酷だということ、同時に道中に都市や観光地と言える場所がほぼなく不便だということが大きいのではないかと思います。実際同日に巡礼を始めたグループのなかで、途中で何人も脱落者が出ました。

しかし、この過酷さ・不便さこそが「古代の道」を推したい理由でもあります。確かに危険を感じる場面はありますし足腰もやられますが、逆に言えばそうしたスリルは日常的なハイキングや登山ではなかなか味わえない貴重な感覚ですし、それを乗り越えた先で出会う雄大な自然には一層胸に沁みるものがあります。いくら道なき道のように思えても既に先人たちが通って行った道ではあるので常に先が保証されているというのもミソです。また、飲み食いさえも不自由な生活というのは都会の分業体制に慣れ切った私たちからすれば一種のタイムトラベルのようなものですが、他の巡礼者と協力しながらそうした困難を乗り越えていくのには何にも代え難い楽しさがあります。お国柄と言って良いのか現地人も陽気で気さくな人が多く、特に巡礼路で出会ったときには進んで助けの手を差し伸べてくれたりします。

さらに「古代の道」を特別な地位に高めているのは、それがサンチャゴ・デ・コンポステラへの最初の巡礼路であったという事実です。そもそもサンチャゴとはスペイン語で聖ヤコブを意味し、サンチャゴ・デ・コンポステラ巡礼とは、当地の聖堂にある彼の墓を拝まんとするキリスト教徒たちによって継承されてきた慣習。もとを正せば、紀元1世紀に殉教した聖ヤコブの遺体が9世紀にこの地で再発見された際、当時のアストゥリアス王アルフォンソ2世がオビエドから「古代の道」を通ってお参りに行ったことに起源を有します。一見他の巡礼路に比べると荒涼とした「古代の道」ですが、この話を聞くとなんだかロマンを感じられるのではないでしょうか。

準備

行くと決まったら、宿も交通手段も予約する必要はありません。バックパックに最低限の物資を詰めてオビエドの地に降り立つだけです。

…と言って済ませたいところですが、個人的な体験からいくつか注記しておきたいことがあります。

荷造り

基本的には様々なまとめサイトに従えば良いと思いますが、以下の二点だけ強調しておきます。

①軽量・速乾・丈夫を心がけること。二週間、そのバックパックを丸ごと背負って毎日20-30キロの山道を歩き続けることを覚悟のうえ、化粧だとかPCだとか甘ったれたことを言わず、人間的な生活に必要なものだけを詰めましょう。必ずしも宿に乾燥機はなく、あっても有料な場合が多いので、自然乾燥で済むよう衣類は綿を避けポリエステル等を選びましょう。降雨による浸水の危険という点でも、精密機器を持って行く際は慎重に検討してください。

②寝袋とサンダルを持っていくこと(不思議にも他の情報サイトであまり記載がないので、あえて強調しておきます)。寝袋は、最悪の場合の野宿への備えという意味もありますが、特に安上がりの公営アルベルゲではマット以上の設備がないことが多いので毛布代わりに必要です(マミー型・ダウン生地が軽量コンパクトでおすすめ)。サンダルに関しては、アルベルゲに着くと入口で登山靴を脱ぐよう要求されることが多いので、その後建物内を歩き回ったり、軽く外出したりする際に持っておくと便利です。

言語

オビエドやサンチャゴのような大都市ならともかく、「古代の道」上の宿場町では英語はほぼ通じません。少なくともスペイン語での挨拶、レストラン・宿で使う会話表現、数の名詞くらいは覚えておく必要があります(この程度は現地に行ってからでも間に合いますが)。なお、巡礼者間の共通言語は大体英語になることが多いですが、個人的な感覚ではそれに次いでなぜかドイツ語話者の割合が高かった気がします。

旅程

ここからは個人的な体験をもとに、13日間の道程と注意点・見どころなりを紹介していきます。

1日目 Oviedo-Grado (26km)

オビエドは、まさに「古代の道」を通って聖ヤコブの墓に最初の巡礼を行ったとされるアストゥリアス王アルフォンソ2世が首都に定めた街。現在も州都として栄えていて、食糧やら備品やらを追加で調達することもできますし、長旅の前に腹ごしらえをするにも事欠きません。なお、「街」と言える場所は今後10日間ほど(ルーゴに到着するまで)現れないのでこの際しっかり心の中で文明社会に別れを告げておきましょう。

巡礼の出発地となるのは、これまたアルフォンソ2世ゆかりの大聖堂。ルーゴ大聖堂を意識して作られたという内部の美しいゴシック装飾を堪能するには(巡礼者割引後でも)4€差し出さないといけませんが、悪いことは言わないのでここはケチらずいきましょう。巡礼を始めてからいくらでもケチれます。なお、出発前に巡礼手帳(Credencial)を入手しておくのを忘れないでください。道中のアルベルゲでも貰えますが、オビエド大聖堂のスタンプがないと寂しいです。

巡礼の開始に伴って何も手続や儀礼はありません。ただ道標(黄色い矢印や貝殻のマーク)に従って歩き始めるだけです。オビエドの街にいるうちは、地面の上に嵌め込まれた金色の貝殻を追うことになります。扇に例えるなら要に当たる部分が向かうべき方向です。なお、オビエドからは「古代の道」のほかにも「北の道」に合流するルートがあり、ぼーっとしているとミスリードされてしまうので気を付けてください。

最初の方は「これが巡礼…?街の中を散歩しているだけでは?」というような気持ちにもなりますが、20分ほど経つと急に都会を抜けて牧草と家畜に満ちた景色が開けます。この辺りにはアストリアス牛と呼ばれる、茶色い胴体に二本の角を生やした特別な種類の牛がいるので観察してみると面白いです。まだ巡礼仲間をも知らない一日目は心細く長くも感じられますが、マドリードバルセロナのような定番観光地とは全く異なるスペインの田園風景には心洗われることと思います。

グラドはただ道路沿いに建物を並べたようなこぢんまりとした町ですが、安心してください、「古代の道」沿いの宿場町の中ではこれでも大きい方です。初めてアルベルゲに向かうときは緊張もしますが、それまで通りに貝殻の目印を辿るだけで丘上にある公営の建物に簡単に辿り着けます。夜ご飯には近くにあるCafé Exprésがおすすめ。ボリューミーなご飯を非常に安く食べることができ、それまで滞在していた都市との物価の落差を実感させられます。なお、スペインのご飯処にはよくMénu del díaと呼ばれる12€程度のお得なセットがあり、特にしっかり食べたい時に頼むと良いです。

2日目 Grado-Salas (23km)

初っ端から急な上り坂が続きしんどいですが、しんどさそれ自体にも慣れてくるのが二日目。各人がばらばらに歩き始める初日とは違って、同じ宿場から出発する巡礼仲間との会話も折々に楽しみながら歩くことができるので、だんだん精神的な安心感も生まれてくるかと思います。

なお、サラスに辿り着くまで町と言える町はないので、昼ご飯はグラドで調達しておくのが吉です。私はオイルサーディン缶とパンを持っていって鰯サンドにしていました。水に関しては、要所要所で泉なり水道なりがあるので水筒を持っていけばこまめに補給できます(とはいえ水も必要なときに常に現れるとは限りません。こういう不自由を経験させられると改めて普段飲み食いするものの有り難みを実感させられるようになるのも新鮮な感覚で、昔の宗教で水源信仰が多かった訳も分かるような気になります)。

サラスは中世の街並みを残した、御伽話に出てきそうな可愛らしい町です。早めに到着したら、かつてこの地を治めていたValdés Salas家ゆかりの邸宅(現在はホテルに改装されています)や見張り塔を観察したり、もう一踏ん張りして丘の上のサン・マルティン教会を観に行ったりするのも良いでしょう。あるいは町を流れる小川沿いやそこらのベンチに座って、コーヒー片手に旧市街を眺めるだけでもリフレッシュになるかもしれません。なお、Valdés Salas家は15-16世紀にオビエド大学の創設者をも輩出したエリート家系で、注意して歩けば趣向を凝らしたその家紋や大学にまつわる碑文を町中に見つけることができます。

3日目 Salas-Tineo (20km)

町を出て木立に入るとすぐ、Cascada de Nonayaと呼ばれる滝に出会います。古代の道を歩いていると至る所で自然の湧水や小川を目にすることができますが、この滝は特に大きく、なんだか瀬をはやみとでも口ずさみたくなるような、日本の峻厳な自然を彷彿とさせる風情があります。巡礼路から一度外れて往復10分ほど歩かないといけませんが、必見です。

サラスから2-3時間歩かないといけませんが、朝食または道中の腹ごしらえにぜひ寄ってほしいのがポルシレスのFontenonayaというカフェ併設アルベルゲです。私はサラスでスーパーの営業時間内に食料を調達するのを忘れ餓死寸前だったのですが、「Pilgrim Breakfast」という看板に導かれてこの宿に辿り着き、主人の夫婦にもてなして頂けました。それもお代は不問(申し出れば寄付できます)。このケースに限らず、巡礼路では金銭的利得とは無関係のコミュニケーションを享受できる場面が多く、都会の資本主義に染まり切った心が洗われること間違いなしです。

山を登った先にあるティネオは、巡礼路のなかではかなり大きめの町です。古代ローマ時代に鉱業の拠点となったのち、一時イスラーム支配の下に置かれたもののレコンキスタによりアストリアス王国に組み込まれ、13世紀にアルフォンソ9世によって巡礼路の通過地点として指定されたことを契機にますます発展したとか。13-15世紀のフランシスコ会修道院の名残だというサン・ペドロ教会周辺の歴史的地区も一見の価値ありでしょう。因むと、まさに聖フランシスコがサンチャゴ巡礼を行った際、帰りに古代の道を通り、この修道院を聖別したという伝説もあるそうです。この話を聞いたとき、個人的には、行くだけでこんなに大変なのに昔の人は帰りも歩かないといけなかったのか…という呆れを真っ先に覚えましたが。

4日目 Tineo-Borres (18km)

町を出てさらに山を登ってから後ろを振り返ると、草を喰む牛の群れとティネオの街並みの奥に青々とした緩やかな山々が連なる美しい田園風景を臨むことができます。気温の低い朝には特に、下方で霧が立ち込めて雲海のような様相を呈していることもあり、見事です。

なお、古代の道上ではボレスからプエルト・デル・パロの間の区間で二つの道程があり、そのどちらを選ぶかによって4日目の目的地は異なります。基本のルートを選ぶのであればボレスを通過して12キロ先のポラ・デ・アランデを目指しましょう。翌日La Hospitalesと呼ばれる山越えルートに挑戦したいのであればこの日はボレスで止まりましょう(その先は山しかないからです)。このルートは基本のルートより5キロほど短い一方で急峻、しかし晴れの日には息を呑むような絶景に出会うことができます。ボレスに着く頃に翌日の天気予報を確認して判断するのもアリです。なお、La Hospitalesを選択する場合はこの日のうちに翌日分の食糧を調達しておくのを忘れずに。

ところで巡礼路ではいわゆる高床式倉庫を多く見かけます。これはスペイン語ではオレオ(Hórreo)と呼ばれるイベリア半島北部に特徴的な倉庫で、多雨に由来する湿気やら鼠・害虫やらから穀物を守るためにこうした構造になっているようです。とはいえ敵は常に下とは限らないもので、鳥のリーチをも防ぐために倉庫の本体部分は背が低くのっぺりとした形になっているのも面白いところです。

なお、私自身は巡礼者仲間とともにLa Hospitalesに挑むことを決め、ボレスに泊まりました。ここは山上の小さな村で、住宅といくつかのアルベルゲ、一軒のバーしかありません。さらに公営アルベルゲは古代の道のなかでもとりわけ簡素で、水回りあわせて40平米ほどのスペースに10-15人を詰め込むよう作られています。とはいえ景色に関しては文句なしの美しさで、天気が良ければ草むらに座り雲海を見ながらピクニック気分で食事をとるのが最高に心地良くておすすめです。この頃になると、同じ日程で歩いている巡礼者同士が互いを把握し終え、小さな家族のような繋がりが生まれることと思います。語弊を恐れずに言えば人気のない古代の道ならではの温かみです。

5日目 Borres-Berducedo (26km)

語感から予想がつくようにLa Hospitalesとは「病院」を意味し、昔このルート上に巡礼者用の治療施設が複数位置したことに因んで名付けられたものです。とはいえこれらは長い歳月をかけて瓦礫と化し、今となっては本ルートの本質は、ひたすら荒涼とした山峰を登り下りを繰り返すことにあると言えるでしょう。気温・湿度次第では容易に霧が立ち込め、良く言えば中国水墨画のように幽玄な、しかし実際のところは視界を奪い不安を駆り立てる様相を呈しますが、晴れた際には彼方まで無数の山々が峰を連ねる雄大な景色を開示してくれます。巡礼路上では基本的に柵で隔てられた先にいるアストリアス牛たちもここでは荒野でのびのびと休んでいて、まさにヨーロッパの山の原風景と言えそうな眺めがタフな道程の先に待っています。

ところで古代の道上では、複数の鐘を吊るした薄べったいファサードを持つ独特の教会建築にお目にかかる機会が多くありますが(この日通るラーゴのサンタ・マリア教会に加え、2日目のサラスのサン・マルティン教会など)、これは8-10世紀のアストリアス王国で普及した前ロマネスク様式に起源を持つようです。さらに内部装飾にまで言及すれば、この辺りの教会には「偶像崇拝」と怒られかねないようなリアリティを持ったキリストや諸聖人の等身大の彩色彫刻が多く置かれていて、やはり根からのカトリック文化圏なんだなと実感させられます。

タフな一日の終わりに辿り着くベルドゥセドはこれまた小さな村です。原則的に古代の道の宿場町には娯楽や観光地はないので、巡礼仲間とバーに行って格安なグルメと酒を堪能するのが吉といったところ。特にご当地ビールとしてよく出てくるエストレラ・ガリシアをぜひ一度は試してみてください。また、5日も経つ頃には自然に気付いていると思うのですが、スペインのバーやレストランにはほぼ例外なくテレビがあります。現地人の友人いわくサッカーを見逃さないようにするためだとか(真偽は不明)。

6日目 Berducedo-Grandas de Salime (20km)

比較的平坦な道のりで景色も美しい休養デイです。ただ一度だけ、道標に従う限り自ら柵の扉を開けてアストリアス牛の集うフィールドを突っ切らないといけないポイントがあり、「本当にこれで合ってるの?」と不安に駆られますが合っています、突っ切りましょう。見た目こそ闘牛のような牛たちですが、実際はおとなしく向こうから攻撃してくることはありません。とはいえ私は運悪く牛たちが群れで扉を塞いでいるタイミングに当たってしまったため、その脇の有刺鉄線柵をひょいひょい飛び越えて巡礼路に合流しないといけませんでした。巡礼仲間の壮健な兄ちゃんたちが先導してくれたから何とか乗り切れたものの、思い返せばこの旅のなかで最大の危機でした。

後半に差し掛かると山間に広がる青々とした湖を上から臨むことができます。古代の道のなかで最高の絶景です。この辺りには青いロベリアや紫のヘザーなど高原植物も生い茂っていて、どこを向いても目の保養になります。

グランダス・デ・サリメは可愛らしい村ながら見どころも多く、早めに到着して散策するのがおすすめです。特に民族博物館はたったの1.5€の入場料ながら軽く1-2時間は潰せるほど充実していて、アストリア地方の伝統的な建築・工芸品・日用品・食糧品を鑑賞することができます。なかでもマドレニャ(madreña)と呼ばれる爪先と踵の二箇所にヒールの付いた木製のサンダルなんかは、巡礼している間にも要所要所で見掛けるものですが、この博物館ではその製造過程なり男性用・女性用の相違なりが詳しく展示されていて面白いです。そもそもこれは泥道を避けるために考案された靴らしいですが、高床式倉庫に並んで多雨地方ならではの生活の知恵を感じさせますね。

旅もそろそろ折り返し地点、一週間の健闘を讃え合うためにも夜にはぜひLa Parrillaというバーを訪れてみてください。モダンながらユニークな内装にポップな音楽が流れていて、まるで都会に戻ったかのような錯覚に陥ることができます。

7日目 Grandas de Salime-A Fonsagrada (26km)

標準的な道程です。この日のうちにアストリアス地方を抜け、その西のガリシア地方に入ります。これに伴い、巡礼路上の道標が微妙に変わるのに気付かされるでしょう。それまでは単に貝殻と矢印だけが描かれていた石碑に、新たにサンチャゴ・デ・コンポステラへの距離表示が加わります。最初の表示は「166,098km」、旅ももう後半戦です!

私のスケジュールではこの日は日曜日だったので巡礼路上の飲食店が軒並み閉まっていて、目的地目前のMesón Catro Ventosというレストランでようやく食事にありつけました。これは古代の道上では珍しくもお高めのガリシア料理店ですが、値段の分ボリュームも味もしっかり保証されているので少し贅沢したい気分になったらおすすめです。なお、私もこの頃になって初めて気付いたのですが、巡礼路上の大半の飲食店では頼めば巡礼手帳にスタンプを押してもらえます。記念に是非。

ア・ファンサグラダも古代の道のなかでは標準的な(or少しだけ大きめの?)規模の宿場町といったところです。この町含め、ガリシア地方に入ると名前にプルペリア(pulpería)という言葉が入るレストランを頻繁に見かけるようになりますが、これは地元でプルポ・ア・フェイラ(pulpo a feira)と呼ばれる蛸料理を提供する店を意味します。オリーブオイルとパプリカパウダーで味付けされるのが定番で、お酒のおつまみには持ってこいです。巡礼で酷使した筋肉のための蛋白質補給にもなるかも。

8日目 A Fonsagrada-O Cádavo Baleira (25km)

ア・ファンサグラダには午前7時から開くベーカリーがあるので、朝の腹ごしらえにおすすめ。こちらではコーヒーの中でもなぜかカフェ・コン・レチェ(café con leche)と呼ばれるホットミルクで半分に割ったものが大人気で、パンやケーキとのセットメニューもよく目にします。都会から離れた巡礼路上の飲食店では大体一杯1-1.5€と格安で飲めるのがありがたいところです。

前日と同様特に真新しいことはない道程だと思いますが、目的地直前でかなり急な登り坂が続くので踏ん張ってください。なお、私の場合はこの日から降雨が続き、物理的にも精神的にもしんどい思いをすることが増えました。季節ごとの大まかな傾向はあるものの、スペイン北部は全般的に降雨の多い土地柄なうえ天気予報があてにならないことも多いので、いつ行くにせよ雨対策を含めた準備をしてください。

オ・カダヴォ・ヴァレイラでの夕食には、Restaurante Neiroがおすすめです。一階がバー、二階がレストランになっていて、バーでは飲み物を頼めばサービスでタパスを食べることができますし、レストランでは前菜+メイン+デザート+飲み物(アルコール含む)+食後のコーヒー・紅茶のコースを12€という破格の値段で堪能することができます。ボリュームも味も文句なしです。

9日目 O Cádavo Baleira-Lugo (30km)

かなり長距離ですが、この頃になると平坦な道が多くなるので意外とあっさりいけます(なお、私の場合は朝に雪が降り、冷え込みはしたものの森の中の小径が白銀に染まるさまを堪能しながら歩くことができました)。道中では上述したようなアストリアス建築様式の教会を複数見ることができます。

ルーゴは古代の道の経由地のうちでは最も大規模で、かつ歴史的な街並みの残る美しい都市です。早めに到着して観光のための時間を確保しておきましょう。中心の旧市街を取り囲む市壁はローマ帝国時代に遡るもので、なかでもヨーロッパで最も保存状態の良い例として知られています。それをくぐると今度は中世以来、本都市が巡礼拠点として栄えるなかで作られた様々な石造建築が待ち構えていますが、特に必見なのはサンタ・マリア大聖堂です。12-13世紀のロマネスク様式の骨組みの上にゴシック・ルネサンスバロックといった様々な時代の装飾が重ねられ、軽く見渡すだけでまったく趣向の異なる美術が併存しているのを見てとることができます。なかでも注目してほしいものの一つが大きな聖遺物容器を豪華絢爛な装飾取り囲む異色の主祭壇で、実はこれは聖餐の恒久的展示という昔の教皇によって本聖堂に与えられた特権を顕示するものです。さらには、主祭壇の裏側にある、大きな目の聖母の礼拝堂もなかなか味があるので一見の価値あり。バロック期の作らしいですがどこか中世的な静謐さと素朴さのある聖母像が佇んでいます。なお、こうして後陣に回廊を設けて複数の礼拝堂を横に並べる方式はサンチャゴ・デ・コンポステラの大聖堂とも共通するのですが、それは主祭壇でミサを行っている間にも大量に訪れる巡礼者の通行を促進するための工夫であったようです。

ルーゴでは食事にも買い物にも事欠くことがありません。束の間の文明社会への復帰を存分に楽しんでください。なお、この街に着いた時点でサンチャゴへの道のりは100キロを切ります。巡礼完了後に巡礼証明書(Compostela)を入手するためには、この最後の100キロ区間で毎日2つ以上のスタンプを集めることが必要になるので、お忘れなく!

10日目 Lugo-Ferreira (27km)

再び古代ローマの市壁をくぐるところから巡礼再開です。ルーゴの一晩が幻であったかのように山道林道に戻り、少なくとも私の時は20キロ弱歩かないと飲食店に辿り着けなかったので覚悟しておいてください。目的地としては、サン・ロマオ・ダ・レトルタとそこから数キロ進んだフェライラの二通りがあるかと思います。いずれにせよ翌日の目的地はメリデが順当なので、今日頑張るか明日頑張るかの違いです。どちらも町というよりアルベルゲに毛が生えたような場所ですが、バーではボリューミーなご飯をコスパ良く食べられることでしょう。

サラミや生ハムやチーズは特にその気がなくてもスペインに二週間いれば大量に摂取することになりますが、他におつまみとしておすすめしたいのはパドロンペッパーです。これはまさにガリシア州パドロンという地域に由来する辛味のない緑の唐辛子を素揚げした料理で、微妙な塩見苦味が病みつきになります。個人的にはししとうと区別がつかず、食べていてなんだか懐かしい気持ちになれるのもツボなポイントです。

11日目 Ferreira-Melide (21km)

この頃になると、古代の道沿いの自然風景にも目が慣れてきて、最初ほどの新鮮味は感じられなくなるかもしれません。連日の重労働で身体的な疲労も溜まってきて、ある種の中弛みというかなんとなく歩くのがしんどくなることもあるでしょうが、もう一踏ん張りです。

メリデは古代の道の宿場町としてはルーゴに次ぐ大きさです。ちょうどここが別の巡礼路、フランス人の道(Camino Francés)との合流地点になるため、一気に見知らぬ顔のバックパッカーが身の回りに増えます。最後の数日間になると古代の道ならではの静謐さや親密さが失われ、そこまで一緒に歩いてきた巡礼仲間ともなんだか寂しいねと話していました。

とはいえ、メリデは歩き回るには楽しい町です。中心部にサン・ペドロ教会というのがあり、美しい彩色彫刻を備えた祭壇を見られるので時間があればぜひ訪れてほしいのですが、私自身はちょうど2024年3月28日の聖木曜日に到着したため、この教会の中で磔刑のキリストの彫像の行進が行われるのを目撃することができました。イースター自体はどこの国でも祝われるでしょうが、特にカトリック圏のスペインではイースター当日より7日前から始まる聖週間(Santa Semana)の間ずっと国を挙げてのお祭り騒ぎとなり、飲食店のテレビで流れるニュースも各地での行進の様子の報道で持ち切りになるので、面白いものです。

12日目 Melide-O Pedrouzo (33km)

最後の2日間は、フランス人の道の巡礼者やルーゴから手頃に古代の道を始める現地のハイカーたちを含む大勢の道連れがいるので、迷子になる心配もあまりありません。サンチャゴに近付くにつれ町を通過する頻度が高くなり、特にこの日半分くらい歩いたところで行き当たるアルスアはメリデと同じくらい大きな町になります。なので普通に考えれば楽で便利な道程なのですが、私が歩いたときには途中雹に降られて心が折れかけました。

オ・ペドロウソは道路沿いにアルベルゲと飲食店を並べたような小さな場所ですが、なんと公営アルベルゲには200台ほどのベッドが用意されています。定員10-20人ほどの狭い部屋にぎゅうぎゅうに詰め込まれていたメリデ以前が遠い昔のように感じられますね。巡礼路上最後の夜も、たくさんご飯を食べてゆっくり休みましょう。

13日目 O Pedrouzo-Santiago de Compostela (20km)

いよいよ最終日、サンチャゴ観光に時間を残すためにも朝早く出発するのがおすすめです。この先の人生であまり見ることもないだろう、ホビットの世界のような山道を悔いのないよう味わいながら、最後の力を振り絞って歩きましょう。半分ほど歩いたところで通るラバコロの教会で巡礼手帳にスタンプも押してもらえるので、最終日の記念にぜひ。

残り5キロ地点ほどに着くと遠くにサンチャゴの町が見えるようになり、テンションが上がります。そこからはまず新市街を通り、そこから旧市街に入り、さらに奥の大聖堂を目指すといった形になるので意外と長くじれったく感じられるかもしれません。とはいえ、いやだからこそ、大聖堂の荘厳なファサードを目の端に捕らえたときの感動はひとしおです。その手前のオブラドイロ広場にも抱き合って喜びを分かち合っている巡礼者がたくさんいて、実際その場に辿り着いた者にしか分からないとしか言いようのない高揚感を共有することができるのではないでしょうか。

正直今の私たちにとっては巡礼の過程そのものが目的化してしまっている節がありますが、本来の巡礼の目的は聖ヤコブ崇敬です。ぜひ大聖堂の中に入り、主祭壇の下に眠る聖ヤコブの墓を参拝し、さらに主祭壇の中心に座る聖ヤコブの彫像に触れるという古来の慣行を体験してください(この流れはなんだか善光寺のお戒壇巡りと重なるものがあって面白いです)。そして、毎日午前7時30分から、正午から、および午後7時からの3回行われる巡礼者ミサにも参加しましょう。最終日の道程が快調に進めば、正午のミサに出席し、夜は市内のバーでゆっくり祝杯を上げるというのが綺麗な流れですね。ミサに関してはラテン語スペイン語のみで進み、特にキリスト教的儀式に慣れていない多くの日本人からしたら何が進行しているのかほぼ分からないかもしれませんが、適宜周りに合わせて行動しながら場の雰囲気を味わうだけで十分印象深い体験になると思います。長く過酷な巡礼路の後には大聖堂内部の豪華絢爛な装飾がことさらまばゆく見え、中世の人々の信仰心がこうした巡礼を通じて高められていった訳も分かるような気になります。

この日こそは(この日も?)存分に美味しいスペイン料理を食べお酒を飲み、二週間の修行を労いましょう。スペイン人の友達に教えてもらい実際私も気に入ったお店として、ここではantollos pinchos e viñosというピンチョスバーとMomoというパブを紹介しておきます。前者はガラスケースの中に並んださまざまな種類のピンチョスのうちから好きなものをセルフサービスで取り、食後に串の種類と数に応じた金額を支払う回転寿司のようなコンセプトのお店です。この一連の体験が面白いのは勿論、ピンチョスの味もバラエティもばっちり。後者のパブでは、とてもユニークでポップな内装のうちにビリヤード等のゲームの台まで置かれていて、一気に時空を超えて大都市に戻ったかのような錯覚を味わえます。

この街で宿に困ることはないと思いますが、余裕があればぜひ数日前にHospedaría San Martiño Pinarioの巡礼者用客室を予約してみてください。大聖堂のすぐ隣にある由緒ある見た目の建物のホテルで、ウェブサイトを通じて普通に予約するとお高めなのですが、メールで巡礼者であることを説明すると一泊29€でシングルルームに泊まることができます。なんと朝食ビュッフェも込みです。

サンチャゴの観光名所については調べれば日本語でもたくさんの情報が出てくると思うので多くは語りません。ただ一つ、大聖堂周辺の美術作品を観る上で面白いポイントとして聖ヤコブのルックスには三種類のバージョンがあるということを説明しておきます。一つ目は通常の使徒バージョン。二つ目は馬に乗って剣を振るう戦士バージョン、これはサンチャゴ・デ・コンポステラ周辺の北スペインで歴史的にムスリムとの戦い(レコンキスタ)が展開されてきたことに由来します。そして三つ目こそが巡礼者バージョン、この場合聖ヤコブは水筒代わりの瓢箪を結びつけた杖を持ち、帆立貝のついた鍔広帽子とマントを身に付けています。厳密に言えば聖ヤコブ自身は巡礼する側ではなくされる側なので彼が巡礼者として表象されるというのは変な話なのですが、まあそこはツッコまないお約束なのでしょう。ともあれこのモード変換、なんだかカービィみたいで可愛くないでしょうか。

おわりに

とまあ気ままにぐだぐだ書きましたが、サンチャゴ巡礼という体験は本当に言葉と写真だけでは伝えられません。ぜひ実際に自分の足で歩いて、自分の目で見てきてください。その際にここで書いた情報が何かの助けやスパイスになったら嬉しいです。